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自転車を買った。ミスターマックスで税込19000円くらい。傷が付いていたのことで500円値引きしてもらった。
俺は徘徊が趣味で、徒歩で行くには少し遠いところに好みの団地を見つけたのだ。そこに通いたいというか、行きたい時に行って広場でぼんやりしたいという理由から自転車を買った。或いはお友達の⑨氏のブログ「明るすぎる海」には、氏が自転車を利用する描写がよくあるのだが、最近更新された「四枚落ち」という記事が素晴らしかったからだろうか。
しかし夏である。俺は自転車での移動はどの点でも徒歩の上位互換だと思っていたのだがどうやら違うらしい。まず汗のふきだし方が徒歩のそれではない。そしてただただ太ももが辛い。それに10年ぶりに乗るのだが車体が真っ直ぐ進まない。公園で漕ぐ練習をしてやっと街中を走る頃には体力は尽きていた。
半袖短パンで夜の街を走る。
ちなみに防犯登録は脳の障害でいいですと言ってしまったのでしていない。でも盗まれても別にいい。
明日も盗まれていなかったら乗ろうかな。
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セフレが居た。ある日の朝、2月。会う約束を取り付けて、彼のお家に行き、泊まった。帰ってから数日してまた誘われた。泊まって、次の日の朝、ホットケーキを作って食べた。おれは人に作ってもらうホットケーキが好きだった。誰かと食べる朝ごはんが好き。朝に、誰かとご飯を食べるというのは、昼や夜とは違う特別感がある。ありあわせのもので、時にはヘンテコな組み合わせで、眩しいテーブルで食べるご飯がおいしい。
家事は彼の家で覚えた。掃除、洗濯、炊飯、料理。のちに一人暮らしを始めたので、練習になった。彼の家の台所の戸棚には、おれが買い揃えた調味料たちが今も眠っているのかもしれない。
最近、たまにだけど記憶がフラッシュバックすることがある。でもそれは、おれと彼を繋いでいたセックスの記憶ではなくて、彼の家のベランダから見える景色とか、部屋の匂いとか。クローゼットの中の湿気とか、台所の小さな青白い蛍光灯の光とか。彼が仕事に行っている間にふらっと歩いた近所の街並みとか、せかせか歩く人とか、昼間のスーパーの静けさとか。高速バスの窓から見える暗い木の影とか、ぼんやり浮かぶ信号機の赤い光とか。そういう、一人きりの、別になんでもない誰に話すでもない光景や匂いが強烈に、フラッシュバックする。あの時は実家にいたから、誰にも知られない一人の時間がたまらなく愛おしかったのだろう。だとしたら、たまにこうして過去を思い出すおれはまだ彼を忘れられないのではなく、縛りの中で手に入れた一人の時間が忘れられないのだ。実際、彼にまた会いたいなどとは微塵も思わない。彼氏以外の人間に触られるなんて、怖気が走る。おれが恋しいのは、温い空気が充満している、天気のいいあの知らぬ空間だけだ。
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本日は友人と喫茶店めぐりの約束をしていたがめでたくドタキャンされ、日がなぼんやりする他無くなった。
しかし俺はなににつけても強迫観念が強く、外が晴れているのに家にいることを許さなかった。あまりにも快晴なので、寝落ちする寸前に危うくただのゆで鶏になってしまうところだった鶏ハムを湯から救出し、千円札をポケットに入れて散歩に出かけた。
いつもなら川に沿った歩道を魚や鳥を眺めながら歩くのだが、何か月前かの雷でコンクリートがボロボロになってしまい川へ降りられなくなったので、ボロボロの団地の中にある公園へ向かう。点鼻薬を刺した鼻では満開の金木犀の匂いすら拾えない。
通った記憶があるようなないような坂道を登って公園。
タイヤに腰を下ろし、キリンの自販機で買ったウーロン茶を飲む。
以前恋人と一緒に行った森の中の公園では、彼はベンチにハンカチを敷いてくれたなとタイヤの上でぼんやり思い出す。古い男なので、気遣いが昭和そのものである。
忘れ去られた野生のオクラ。
結局立ち入り禁止のロープをくぐりこっそり川へ降り、これを書く。
帰ったら夜。
ケントくん
俺は恋愛をしたことが無い。中学の頃には既に体重が60キロを越しており、髪はボサボサニキビは大量、その上オタク。本を読みながら朝早くに登校したし、教室ではひたすら絵を描いていた。どの要素を取っても男の子が寄ってくるような女の子ではなかった。けれどその時はそんなことは本当にどうでも良くて、絵を描いたり本を読んだりすることだけがとにかく楽しかった。
中3の時に同じ美術部の男の子と付き合っていた時期がある。キスくらいはしたと思う。別れてからもずっと好きで、高3の頃まで大好きだった。だけど彼はなかなか振り返ってくれなかった。占い師に「あなたと彼は魂が男だから、仲良くなれてもお友達止まりよ」と言われ、マジ!?!無理じゃん!!と秒で嫌いになった。その後すぐに高校の同じクラスのすしらーめんりくに似た男の子を好きになった。夏祭りにも行って告白もしたけれど、口オナホになって終わりだった。
さて晴れて社会人になった俺はセックスの虜になった。最初はあんまり気持ちよくなかったし、変なおじさんにネトストされたりした。でも若いというだけでチヤホヤされるので普通に楽しかった。段々こんな事がしたい、あんな事をされてみたいという欲も出てきた。社会人はあんまりにも暇なのでこれが暇つぶしになったし、楽しかった。
けれどやっぱり彼氏が欲しかった。そりゃあ俺をネトストしたおじさんに告白すれば間違いなく100%完璧に付き合えただろうが、そういうやつではなく。手を繋いで遊びに行けるような大好きな彼氏が欲しくなった。
ヨシと思い立って6月の頭頃にペアーズを始めた。始めた瞬間俺の理想の顔の男の子とマッチした。俺の脳内彼氏そっくりそのままだった。毎日LINEをしたし、お互い猫好きで、飼っている猫の写真を送りあったりした。一緒にモンハンをしながら通話をしたり、お話したりした。声がすごく素敵で、配信でもやっていそうな声だった。彼と夜、通話をするのが毎日毎日楽しみで仕方なかった。
7月の頭に初めてデートに行った。顔も体型も好みだった。ひとつ上で歳も近くて話は尽きなかった。お昼ご飯を一緒に食べて猫カフェに行ったり、服を買ったり猫のおやつを探したり、いつもは飯を食って即ホテルかもう飯さえ食わずにホテルに直行したりしていた俺にとって正しく青天の霹靂であった。男と正・コミニュケーションって取れるんだと思った。 帰る時間が近づくと手を繋いで歩いたし、バイバイのハグもした。書いてて反吐がでる、助けてくれ。
2回目のデートは短く軽食だけ食べて終わったけれど、やっぱり手を繋いだし、短い時間でも俺のために体を開けてくれる彼が好きだった。嬉しかった。俺はバイバイしたあとその足でセフレの家に向かい2泊した。自分でも気が狂っているのかなと思った。いや、1回目のデートも前もセフレの家から直接向かった気がする。要するに俺は大好きな彼とセックスがしたかったんだけど、すぐにセックスをしてしまうといつもと同じなのでぐっとぐっと我慢していたというわけである。手を繋いでいる時も自然とホテルの方に足が向いたし、ハグされたあとバスの中で1人脳内オナニーに夢中になった。マンコはびしょびしょだった。俺はセックスに脳を焼かれた哀れな豚であると再認識した。
それからしばらく彼は仕事が忙しくて会える日がなかった。毎日LINEはしていたけれど、ある日既読も付かずにパッタリ返信が来なくなった。
あんまりダメージがなかった。そもそも付き合っていなかったし、俺が彼に抱いていた感情が性欲なのか恋心なのかよく分からなかったし、忙しいなら仕方ないかと特別追いLINEをして返事を催促することもなかった。元気に仕事してるかな、体壊してないかなと心配になった。LINEなんて返してくれなくていいから、仕事で無理して倒れてないといいけどと本当に思っていた。
デカい嘘である。いや思ってはいるし心配は本当にした。けど俺だったらいくら忙しくても未読スルーはしないし、だから俺は彼にとって未読のまま放って置ける程度の女というわけである。
ケントくんへ
初めて通話した日を覚えていますか?君はお父さんが他界してしまってとても苦労をしているという話を俺に聞かせてくれましたね。俺は君の苦労に寄り添って涙を流しました。仲良くなってからはハクちゃんの写真を沢山送ってくれましたね。1度でいいからハクちゃんのピンクのお腹で深呼吸してみたかった。俺も彼と仲良くなりたかったよ。体壊してませんか?君の仕事は大変そうだから、最近は少し涼しくなったけど俺は心配です。体に気をつけてご飯ちゃんと食べてください。頼むから頭が病気の女に望まぬ妊娠をさせて渋で結婚して今までの倍苦労して生きてください。一生穴の空いたシャツ着てろゴミ野郎俺は今になってお前とセックスしなかったことを誇りに思う。
俺より
ダチ
小3の夏休み明けの9月、隣のクラスに女の子が転校してきた。背が低くてキツネ顔で、天然パーマの長い髪の毛を前髪とまとめてポニーテールに引っ詰めた女の子。
どうやら俺の家の近所に引っ越してきたらしく、俺は自分から転校生に声をかけるタイプではないのに、近所に女の子の友達が出来るかもしれないのが嬉しくて帰り道に追いかけ回して声をかけた。ものすごく遠い所からおーいと叫んでランドセルと給食袋をガッチャガッチャ言わせて走って追いついた。めちゃくちゃにドン引きされたのをよく覚えている。けれど、毎日一緒に帰って毎日遊ぶ友達が欲しかったのだ。
それから俺と彼女は友達になった。平日も土日も関係なく遊んだし、毎日一緒に帰った。彼女の家でゲームをして遊んだり、近所の草むらや駐車場で色んなクソどうでもいい遊びをした。彼女は基本俺が提案することに頷いたし、彼女からこれがしたいあれがしたいと言い出すことはまず無かった。
仲良くなると色んなことを教えてくれた。妹がいること、ゆきちというオッドアイの白猫を飼っていること、幽霊が見えるということ、母親が彼氏を作っていつも家に呼んでいること、父親がいないこと…俺は彼女に父親がいないことなどどうでも良かったし、本当に幽霊が見えるのかもどうでも良かった。
中学生になって、俺と彼女は美術部に入った。夏に彼女の絵が賞をとった。俺は彼女に「風景画はすごく得意なんやね」と純粋に思ってそう伝えた。人物画も上手かったけれど、賞をとるくらいだから風景画はもっとすごいね、と。けれど彼女は「あみちゃん人物画「は」上手いのにね」と変な顔で言い放った。多分俺が嫌味を言ったと勘違いして言い返したのだ。今までそんな彼女を見たことがなくて、俺は何も言えなかった。
彼女はいつも俺の少し上を生きていた。テストの点やスポーツの成績にしても、なんでも。俺は一生懸命やってそれだから、彼女のことをすげーなといつも思っていた。悔しいとは思わなかった。彼女は俺の少し上から、ほんの少し得意を滲ませて「あみちゃんと一緒だよ」と控えめに笑っていた。
高校は別々になった。俺は美術の推薦で絶対に行きたい学校があって、無事に合格した。しかし彼女は目指していた高校に落ちた。塾に行ったり生徒会に入って内申点や偏差値を上げて推薦を貰ったのに落ちた。一般入試でも合格は叶わなかった。多分この頃から彼女はおかしくなった。
高校が別々になっても、半年に1回は2人で会ってお菓子を食べながらお喋りをした。彼女はしきりに「あみちゃんと同じ高校に行けばよかった」と話した。「楽しそう、楽そう」とも話した。男の話になれば「○○って子の彼氏に言い寄られて困ってる」とか「○○先輩のこと、彼女がいるのに好きになっちゃった」とかそういうことばかり話した。絵ばかり描いていた俺は彼女の話が刺激的で前のめりになって話に夢中になった。彼女は小さくて控えめだから、男が寄ってくるんだなぁ、可愛いって羨ましいなすごいなと思っていた。多分違った。彼女は女がいる男ばかり狙っていたんだと今は分かる。
高3になると彼女は出会い系でパパ活を始めた。クローゼットの中身をあけて、これはこんなおじさんからこんな理由で買ってもらった、とかわいい服をたくさん見せてくれた。封筒に入っているお金や、おじさんとのやり取りも見せてくれた。おじさんと食べた高級料理の写真も。俺は本当にバカなので止めようともしなかった。好きでやっているんだから良いだろうと思った。寧ろあみちゃんもやってみなよと言われて出会い系をダウンロードした。バカなのですぐにBANされた。
高校を卒業すると俺は絵は関係なく中小企業に就職した。彼女は看護の専門学校に入学した。進路が全然別になっても、やっぱり彼女とは仲良くしていた。たまにLINEを無視されたりドタキャンされたりしたけれど、彼女はそういうところがあるからと割り切っていた。
就職してから俺はこのアカウントを稼働させて、北九州のフォロワーとセックスばかりしていた。社会人は思ったより暇だった。
彼女とのおしゃべりは、セックスの話で持ち切りになった。こんな男がいたとか、こんなことをしたとか。彼女は高校の時の家庭教師とセフレ関係になって、今も続いているらしかった。大好きだと言っていた。
こんなことがいつまでも続くんだろうなと思っていた。今年の2月も会ってお喋りをした。俺は彼女に今年就活だね、頑張ってね!と言った記憶がある。看護師さん大変だろうね、いじめとかあったらやだねと笑いあった。つい先月も彼女と会おうと連絡をするとドタキャンされてしまって、けれど彼女は就活で忙しいんだろうと思ってそれきり連絡はしなかった。
今日コロチンを打つために親が接種会場に送ってくれた。「アンタあの子留年してるらしいよ、もう看護学校辞めるって」と彼女の親から聞いた話を教えてくれた。びっくりしすぎて声が出なかった。就活をしているはずの彼女はまだ1年生だったということではないか。去年も一昨年もそんなことは話していなかった。それに聞けば精神病院に通っているらしい。
ああと思った。だからこの前は会ってくれなかったのかと。就活うまくいってる?どこの病院に勤めるの?俺が仕事で関わってる病院だと面白いね!なんて話をするつもりだった。
話せなかったのだろうと思う。彼女は控えめで自分の意見を主張しない割にものすごくプライドが高いから。彼女とて、留年していることを俺が馬鹿にしたりしないと分かっていただろうが、そういう話ではないのだ。いつも少し上から俺を笑っていたというプライドがあるのだ。親からは絶対に知らないふりをしなさいよと釘を刺された。
俺は色々な気持ちが混ざって悲しくって、彼女に会いたいと思う反面、「あみちゃんと一緒だよ」と俺を薄くバカにしていた彼女が、本当に俺と同じ高卒のバカ女になってしまうことが嬉しくて面白かった。
糞
セフレの家で螻蛄のドラマを少しだけ見た。ヤクザ映画は大好きだし、濱田岳が好きなので気に入った。北村一輝が主演だったが、少し前に観たSPECでは氷漬けにされてお湯をかけられ常に蘇生させられながら生きる刑事役だったので螻蛄ではめっちゃカッコイイなと思った。こんな特徴的で濃くてカッコイイ顔なら描きやすいだろうと思って写真を模写したら全く描けなかった。10回くらい描いたが毎回知らないオッサンが出来上がる。段々鬱になってきてとりあえず描くのをやめた。それから嫌なことばかり気になるようになってきて、平日はかなり気分が悪い。
絵が描けないくらいでと思うかもしれないがそう思った奴には是非死んで欲しい。社会人になってからもコツコツ描き続けてきてそれなりに描けるという自信がある中でこのザマである。人物も風景も描けない。カス・野郎だ。気分が沈みすぎて仕事で怒られてもなんとも思わなくなった。機嫌が悪いと思われたくないので先輩達が笑ってる時に合わせてバカデカ声で笑うようにしている。話の内容は知らない。
しかも最近桜がポチポチ咲いてきて、ポチポチ咲ならいいんだけど沢山咲いてるのを見るとなんだかイライラクラクラしてくる。春は環境が変わる季節だからすごく嫌になる。もう社会人だから大きな環境の変化なんてないのに、桜を見るとふぃ〜となる。
週末にセックスの予定があれば水〜金にかけて段々気分があがってくる。最近はそれに救われているがそれが無かった頃はどうやって1週間生きていたんだろうと本当に不思議で仕方ない。
緊急事態宣言が開けて人も車も多い。嫌だ。コインパーキングで4200円払った。自分の確認の甘さに呆れて笑いながら払った。俺が出かける度に嫌な顔をする母が嫌だ。一人暮らしのための家を探す時間も窮屈で嫌になる。また嫌な顔するだろと思う。俺は真面目に仕事するし税金も納めるから好きな飯作ってセックスしてあとは寝ていたいのになんだか上手くいかない。土曜に1日6万貰える楽な現場があったとしても俺は寝ていたい。最近糞毎日だなと思う。春だからだと思う。早く夏になって欲しい。
☀︎
就職して1年半経った。入社したての頃は57kgだった体重が1年で62kgになっていたので、健康診断の担当医からしこたま怒られた。身長はこの期に及んで1cm伸びていたのでプラマイゼロだと思うが、他人に体重のことを指摘されるのは思ったよりショックで泣きながら3kg落とした。
もともと自分の進路に危機感が無く、どうせ実家暮らしだし給料にもこだわりが無かった。拘ったところで持っている資格は色彩検定3級のみでこれは就職に全く役に立つものでは無かったし、また高卒の身分でいい企業に就けるとも思わなかった。高卒の就職活動は基本的に9月から解禁で、9月までにまたは9月から後にやってくる求人の中から自分で選んで見学に行ったり面接をしたりする。クラスメイトが専門学校や短大の進路をどんどん決めていく中で、ものすごい焦りに襲われた私はとち狂って基本給10万円のコールセンターに見学に行くことにした。基本給が10万円ということは手取りは良くて7、悪くて6弱だろう。20歳になった次の年からは住民税も引かれるので昇給無しだと多分月5万円くらいしか残らない。が、そんなことは知る由もないので背が高くて綺麗なお姉さんに連れられ社内を見て回る。一人一人デスクがあって、向かいあわせで部屋いっぱいに人が働いていた。社内の雰囲気は悪くはなさそうだった。休憩室からは街並みが広く見渡せて開放的な気分になった。しかし私はやはり就職活動自体が他人事だったので仕事内容の説明等は赤べこのようにぶんぶん頭を振って聞いたが、帰ってから内容が1ミリも頭に入っていない事に気がついた。けれど帰り際に「絶対にここに面接を受けに来ます!」と大声で宣言してしまったので受けるしかないかなとぼんやり思うに留まっていた。
正直やりたい仕事なんてひとつも無かった。何度かハローワークからババアがカウンセリングに来てくれるがその時も何がしたいかと聞かれて大変答えに困ったので、漁師になりたい、魚に触りたいというと、それはお家でも触れるよね?と言われて諦めた。だからやっぱりあのコールセンターに入社するしか無いなと思った。しかしこの一連の流れを見ていた当時の担任が痺れを切らして、ハローワークから直に求人票を輸入してきてくれた。会社名だけ見ても何をしている会社なのかさっぱり分からなかったので、給料が1番高くて土日が休みのところを選んで見学に行った。今度は綺麗なお姉さんではなく、茶色くて口紅がとんでもない色のババアに案内されて、暗くて狭い社内を案内された。コールセンターで働いている人よりもこの会社で働いている人は全体的に愛想がなくて空気もどんよりしていた。銀髪で肌が真っ白で体の細い男性か女性か分からない人が軽く会釈をしてくれたがすごく怖かった。コールセンターではグラスにはいった麦茶を出してもらったが、ここではペットボトルのおーいお茶を出してもらった。
家に帰ってコールセンターとこのよく分からない会社、どちらを受けようか迷った。コールセンターで嫌だったのは給料が少ないという部分ではなく、入社して1年は同期とレクリエーションをしたり旅行に行って講習を受けたり、そういうのがめちゃくちゃあるらしいという部分だった。コミュ障で口が上手くない自分には到底無理である。多分入社2ヶ月とかで鬱になって辞めるか自殺するんだろうなと思った。そんな訳で言ってしまえば消去法で(ふたつしか選択肢は無かったが)なにをしているかよく分からない会社を受けることにした。
11月頃に面接を受けに行った。9月から約2ヶ月が空く訳だが、その間に皆どんどん進路が決まっていく。じりじりとした焦りとストレスでだんだん苦しくなっていた。落ちたらどうしようとかではなく、まわりに取り残されている感じとか、4月からどんな形になれど自分は働くのかという漠然とした不安で鬱っぽくなっていた。
一次面接を合格して終わりかと思ったら二次面接まであったのでめんどくせぇ会社だなとしみじみ思った。二次面接では話すことがなかったので、中学生の時に漫画を描いて雑誌に投稿したが、今見ると目も当てられない出来なのでガムテープでぐるぐる巻きにして部屋に隠していること等を話した。社長や偉そうなジジイやババアが沢山いて、私対ジジババ9人くらいの面接だったのでとても緊張して口の中がからからになった。高校3年間の欠席日数が3ヶ月くらいだったので受からなくても仕方ないかなと思っていたけど、2月にあっさり内定通知が出た。社長が学校まで来て内定通知を賞状みたいに手渡してくれた。
それから卒業式を迎えて、友達と写真を撮ったり先生にお礼を言ったりはせずにすぐに家に帰った。母にイオンでクレープを買ってもらう約束をしていたけど、気分が悪くて食べずじまいだったのを覚えている。入社日までに何度か会社に行ったが、制服のボタンやネクタイを全て後輩にあげてしまっていたので、ブレザーに変なボタンをぬい直して着て行ったりした。
3月は丸々休みだったので、多分他の友達はバイトや課題をしていたんだろうけど、自分は課題もないし4月から働くのにバイトもしたくなかったので家でバナナマンのコントやラジオをひたすら見ていた。土曜日の朝になると、録画していたバナナムーンGOLDを聞きながら絵を描いたりした。Twitterでへんな外国人に絡まれてCDジャケットを描いたり、本免試験でめちゃくちゃな運転をしたりして時間を潰した。
4月が来て入社すると、あの茶色くて口紅がとんでもない色のババアは自分の課長だったし、銀髪の美人は超ベテランで自分が1番尊敬する先輩になった。
5年くらい社会人を経た後に見返したら面白いかと思って書いたので、5年後またこれを読みに来ようと思う。