セフレが居た。ある日の朝、2月。会う約束を取り付けて、彼のお家に行き、泊まった。帰ってから数日してまた誘われた。泊まって、次の日の朝、ホットケーキを作って食べた。おれは人に作ってもらうホットケーキが好きだった。誰かと食べる朝ごはんが好き。朝に、誰かとご飯を食べるというのは、昼や夜とは違う特別感がある。ありあわせのもので、時にはヘンテコな組み合わせで、眩しいテーブルで食べるご飯がおいしい。

家事は彼の家で覚えた。掃除、洗濯、炊飯、料理。のちに一人暮らしを始めたので、練習になった。彼の家の台所の戸棚には、おれが買い揃えた調味料たちが今も眠っているのかもしれない。

最近、たまにだけど記憶がフラッシュバックすることがある。でもそれは、おれと彼を繋いでいたセックスの記憶ではなくて、彼の家のベランダから見える景色とか、部屋の匂いとか。クローゼットの中の湿気とか、台所の小さな青白い蛍光灯の光とか。彼が仕事に行っている間にふらっと歩いた近所の街並みとか、せかせか歩く人とか、昼間のスーパーの静けさとか。高速バスの窓から見える暗い木の影とか、ぼんやり浮かぶ信号機の赤い光とか。そういう、一人きりの、別になんでもない誰に話すでもない光景や匂いが強烈に、フラッシュバックする。あの時は実家にいたから、誰にも知られない一人の時間がたまらなく愛おしかったのだろう。だとしたら、たまにこうして過去を思い出すおれはまだ彼を忘れられないのではなく、縛りの中で手に入れた一人の時間が忘れられないのだ。実際、彼にまた会いたいなどとは微塵も思わない。彼氏以外の人間に触られるなんて、怖気が走る。おれが恋しいのは、温い空気が充満している、天気のいいあの知らぬ空間だけだ。